西にしっぽり。

アウトプット力を上げるためのエゴブログ

219日ぶり

はじめです。

 

おひさしぶり。1年はあっという間です。

現在平均で年2回の更新となっています。

 

そんな滅多にない更新だから、そりゃ書きたいことがあってここに来たわけです。

 

書きたいというか整理しておきたいなと。忘れないために。

あとは最近勉強やらが忙しくて疲れているので、一旦離れてリラックスしたいなと思ってここに逃げて来ました。

 

何書くかと言うと、ベースの遍歴を中心に、この6年くらいを語ろうかなと。

 

自分語り嫌いな人は見ないように。

まぁ見るとしたらこのぼくのスマホ盗み見た人くらいかな笑

 

僕が初めて音楽を意識するようになったのはブリーチの映画の主題歌、千の夜をこえてby Aqua Timezでした。小6の冬かな?

それまでの音楽との関わりは、小1までピアノ習ってたのと、姉がリビングで流す浜崎あゆみを無意識で聴いてたくらいですかね。

無意識で、あるいは意識して、というのは音楽をバックグランドで聴くか否か、という感じでしょうか。

中学生からはAqua Timez、さらにはブリーチの主題歌繋がりでUVERworldを聴いていました。

中3の頃、ふと「今聴いてる曲を自分で演奏できたらいいな」と思いました。

そして候補は昔やっていたピアノ、あとは姉がちょっとかじって家にあったアコギでした。しかしその頃のぼくにはアコギはとても難しそうで無理だと思い、ピアノを再び始めました。最初はAqua TimezUVERworldの曲を練習していましたが、先生にコードについて教えられたりクラシックをやらされるようになり、受け身になって1年足らずでやめたと思います。

 

高校生になって陸上部に入るのですが、部活の同期にギターを持っている人とベースを持ってる人がいました。そこで冷めていた演奏熱が少しずつ再燃し、彼らとバンドがしたいと思いました。

このメンバーでバンドをするにはドラムということになるので、ぼくはドラムの教本を図書館で借り、ドラムのスティックやスコアを買って勉強机にゴムパッドやゴミ箱、雑誌など置き、単独で練習を始めました。

ギターの子にそのことを言って、その子が好きなチャットモンチーのスコアをもらってLast Love Letterを練習しました。

しかしベースを持っている人とはそれほど仲が良くなく、結局バンドやろうと声をかけることができず、バンドやる夢は叶いませんでした。ドラムも確かRADWIMPSの有神論で挫折しました。

ちなみにバンドやろうとなって貯めたお金が、スティックくらいしか買わずに余ったのでヤフオクでテキトーにエレキギターを買いました。しかしこれもおしゃかしゃまが難しくて中途半端に終わりました。

 

さて大学に進学し、ぼくはどの部活に入ろうか悩んでいました。高校で陸上部だったのでまた入ろうかなと考えましたが、全然足が速くなくて高校時代は微妙な結果で終わったので正直嫌でした。

そんなとき、友達から軽音楽部のことを知りました。また、大学に入ったとき新入生は10人ちょっとの班に分けられるのですが、そこにアコギを持った人とギター経験者、ドラム経験者、キーボード経験者がいることを知りました。

これは奇跡でしかないと思い、ぼくは軽音楽部に入ろうと思いました。しかし今までかじったことのあるギター、ドラムが埋まっており、ぼくはベースになりました。こう書くとしゃーなしでベースとなったように見えますが、ぼくにはただバンドができるという喜びしかありませんでした。ちなみに最初に弾いたのはLast Love Letterです。

ちなみにギター経験者とドラム経験者は間もなくやめてしまいます。彼らにはぼくが半ば無理を言って誘っていたので仕方ありません。むしろ彼らがいなかったらぼくは楽器で唯一未経験であるベースをやっていなかっただろうと思います。それを考えたら彼らには感謝しかありません。

 

さて、大学デビューをコミュ障で早々に失敗し、どんどん学科の人たちが仲良くなっていく最中、ぼくは講義以外はベースを弾きまくる日々となりました。それは、学科の人と勇気を出して仲良くなることからの逃げでもあったと思います。

冗談抜きで1日5時間は当たり前のように弾いていました。休日は朝から夕方まで弾いていました。1年生のときは旅行などない限り弾かなかった日は本当にないです。よくある台詞になりますが、ベースがぼくにとっての1番の存在場所であり、全てでした。これしかなかった。

 

練習はどんな感じかというと、とても完璧主義気質で、耳で一音一音確かめながらスコアに間違いがないか、判断しながらスコアを修正していました。一音でも違うこと、本番ちょっとでも間違えることを恐れていました。心から楽しめてはいませんでした。

一音一音確認し、それを全て完璧に覚えるのはとても大変な作業でやや病的です(ハンマリングでいいのか、スライドで弾いてるのか、別々の2音として弾いているのか、など笑)。

今はその都度「このベースラインを完コピすることが自分にとってコスパがいいか」を考えながらやっており、ルート8分に変える事もしばしばあります。しかしがむしゃらにやっていたその苦労は、「本家を忠実に再現する」というスキルにおいて大きく貢献したと思います。

 

、、ちょっと疲れた。ちょっと端折り気味でいきます。

 

少し話を戻して、2年生になり、もっと部活に傾倒していきます。幹部にならせていただき、幹部では自分のほぼ唯一の居場所である部活への感謝の意を込めて仕事を頑張りました。

 

その後、3-5年あたりは、練習量は少しづつ減っていきます。バンドへの姿勢は変えずに、毎回自分なりにやりきっていました。理論の勉強を少しずつ始めました。音楽的なことを何もわからず、ただスコアの数字を追っていくのは1年生の頃から嫌だなと思っていました。

理想はコード見てあとキメを確認してしまえば自由にアドリブで弾けるという状態になることです。すなわちほぼジャズですね。これは今でも変わりません。

 

ちなみに今はコード進行に対しオリジナルのラインを考えられるくらいにはなりました。亀田誠治風のベースアレンジが最近ハマってます。卒業までにアドリブは間に合いそうにないです。

 

さて6年生になりました。彼女ができ、卒業に向けて試験勉強を始め、大きく身の回りの環境が変わっています。

彼女といる時間も大事にしたいし、試験も余裕で受かりたいので勉強もせざるを得ない。それもやや遅れをとっている。そうなると別のものが削られます。5ヶ月くらい続けていたランニングをやめ、ベースの練習もはるかにしなくなった。それはもうある程度は仕方がない。将来を考えなければいけない。今まで目を背けてきたものにももう目を逸らせなくなってきた。

こうしてベース以外の居場所にいることが増えてベースとやや距離を置いて、最近気付かされたことがいくつかある。

 

一つは上に書いていたが、ベースを逃げ場としていたこと。今までは講義や実習の隙間時間があれば家に帰って練習。飯を食う人がいないしと帰る。学校で手持ち無沙汰に過ごしたくない。そんな思いからベースに逃げていた。逃げていることにはある程度は自覚があった。もちろん、上手くなるには1秒も無駄にしないという姿勢も必要かもしれないが、ぼくの姿勢には逃げの成分も間違いなく存在したはずだ。

 

もう1つは、そういう風に生きていたからか、時間の無駄を嫌うようになり、ギリギリまで寝て遅刻するのがザラになったり、勉強中、人と話していても時間を気にしてあまりまともに会話に参加しなかったり、見学実習でもどこか上の空で終わったらすぐ帰りたそうにしてしまうとか、とにかく余裕がなくて自己中なライフスタイル、というか性格になっていたこと。

 

なぜ気づいたかって、彼女に会う日も勉強が気になってちょっとどこか上の空だったりマイナスな感情をもってることに気づいたからだ。これはヤバイ。まぁ受験生ならしゃーないかもしれんがね。

 

まあしかしこれらは「今ほかのことをすることのメリット」ばかり考えて今を生きていないことに他ならないね。

 

ベースがあったから今ぼくはこうして元気?に生きられてるわけだけど、それに逃げられるのと引き換えに少しずつ社会性とかモラルを失っていた。

 

挨拶は大事。同級生にも壁を作らない。遅刻、サボりなんて本当は許されない。感謝を忘れない。

最近あったけど、吐いて介抱してくれてる人に嫌なこと言ったり、ほんまにいけんかったな。そんときに反省して感謝の言葉は意識して言うようになった。

 

社会に出るまであと1年、勉強恋愛部活忙しいとは思うが、人への感謝は忘れずに、いろんな人と関わることを恐れないで生きたい。

 

 

、、なんのブログか分からんくなったがあながちこれが今の1番の思いかな。

 

あとは卒業するときに言いたいことを書いてみる。現時点の。

 

居場所が他にある人は別にそれでいい。部活にしか居場所がなかったり、部活が自分にとっての1番の居場所なら、そこで全力を出すなり、自分らしく生きるなり、とにかくその居場所を掴んで離さないで。

あとは彼氏彼女いなくても、部活でもなんでもいいから捧げてみてほしい。一人も楽しいよ。練習時間はその方がとれるから上手くなって。

 

それではもう疲れたしさようなら、ベースの耳コピ頑張ってきます汗